【6/1】私たちが学んだ歴史学を考える④-1:アーリア人の大移動

歴史は文学的には大変興味深く面白いです。しかし、子供たちを幸福へ導くため、また現在の情勢をよく理解するためには、科学的(サイエンス)に整理することが重要であり、このブログの目指しているところです。前回まで整理したことは、世界では、文明が発祥し、王様やその支配下の人々が豊かになるが、王様の覇権争いが激しくなった。日本でも、鎌倉幕府から徳川幕府まで、大きな文明こそ無かったが、人々が豊かになりつつあったので、年貢が入り、殿様の覇権争いが発生し、源頼朝から徳川慶喜までそれが続いた、その間、ヨーロッパ方面は奴隷が働き、日本では農民が朝起きて田畑を耕し年貢を納めるといった生活が続いた、ということでした。その中で、現在のグローバル社会に影響が著しい3つの側面を特定しました。①アーリア人の大移動、②宗教の成立、③鉄器の出現です歴史を文学あるいは、人文学的に知りたい方は、高校生の教科書のように、人と戦争を中心に書いた本を読めばよろしいと思います。いよいよ、この歴史ブログも山場に入り、それぞれ3つの歴史側面を整理してみたいと思います。

①アーリア人の大移動(出現と膨張)
アーリア人は、カスピ海と黒海の北方あたりにいた放牧民のような方々です。アーリア人はとても①優秀で、②繁殖力が強く、しかも、③発祥地付近の住み心地が悪かったという3つの要素がありました。力がついてきますと、自分の住んでいる場所が満足できなくなり移動を始めます。南にはコーカサス山脈が立ちはだかるので、今のインド方面、イラン方面、そしてヨーロッパ方面へ行きました。ちなみにイランという言葉は、アーリア人の国、つまりアーリアンが変形しイランとなります。一番、すぐに歴史に及んだのは、ギリシャ方面へ行った部隊です。バルカン半島を超え、ギリシャを全部アーリア人が制圧することとなります。それから、ローマ方面、フランス方面、デンマーク方面からイギリスまで膨張します。これが紀元前2400年から紀元前1200年ほどまで続き、最後の方では、コーカサス山脈を乗り越えてしまうものもあらわれ、今のトルコを制圧してしまい、後に鉄器を生み出し大帝国であるヒッタイト王国ができます。ヒッタイトはエジプトにも勝利してしまうという強さを持っていました。そして、南からのアラム人(セム族)とアーリア人の混血が生まれました。アーリア人8割、セム族2割ほどの混血が生まれるのですが、この方々が本当に獰猛で、この方々が移動してくると、そこに住んでいる人は追いやられ、殺されることとなります。本当に侵略してしまうのです。追いやられた人々は難民となり、例えば、ギリシャ方面の人々は海に押しやられて、その時、海に住んでいた人は、玉突き状態でさらに押しやられて、今のシリアができました。それからさらに、紀元後500年を過ぎてムハンマド(マホメッド)さんが現れると、セム族とアーリア人の混血が、エジプトから北アフリカを通ってスペインまでたどり着きます。そうしますと、スペインは、直接来たアーリア人と、北アフリカを経由してきたセム族とアーリア人の混血が、今のスペイン、ポルトガルあたりに住みます。この方々の歴史的貢献(悲惨な)は著しく、これ以降、地球の半分以上は、アーリア人を中心として動くことになります。従って、今でもスペイン人やポルトガル人の趣は、他のヨーロッパ人とは異なって見えるはずです。つまり、陽気で情熱的で人なつっこいといった感じです。しかし、このことが、今に続く大きな歴史となり、日本の世界史における大きな貢献も理解できることとなります。そしてその大きな歴史とは、どうしてもアーリア人の性質に依存してしまうこととなってしまうのですが、それは、以下の三つであり、このことは、よく覚えておいた方がよろしいと思います。
①獰猛である
②向上心が強い
③自分の言うことを正当化して他人を奴隷にする

上記を今風に変化させて、少し優しい言葉にすれば、普通のお母さんが良く子供に言っていることと重なりますね。
①強くなりなさい
②夢を持ちなさい
③コミュニケーションを大切にして意思をハッキリ言える人になりなさい

お母さん方は、これらが本当に良い事だと信じていらっしゃると思いますが、「強いものは正しい」とか、「正義は勝つ」といったこの後のブログで書かせていただく、一神教(宗教)の成立によった教えとなりますことを、次回のブログでご確認いただければ幸いでございます。

本日は、納税期限で、これから色んな税金を納めてきますが、重たい歴史と重なって、少しシュールな雨の月曜日の朝でした。

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