【6/21】ネットの誹謗中傷を考える

先回のブログのご案内では、今回、日本の戦争遺訓を整理する予定でしたが、あまりにもそれら遺訓に反している現在の日本社会を垣間見てしまい、先人に恥ずかしくてたまらない心境となってしまいました。なので遺訓の整理は少し先延ばしして、本日は、時事ニュースを整理してみたいと思います。ネットの誹謗中傷書き込みによって、有名人を含め多数の自殺者が発生しておりますので、確定的要素を整理してみたいと思います。

先だって、歴史を整理しましたが、読まれた方の心証的には、若干、ヨーロッパ貴族社会を批判的に感じられたかもしれませんが、本日は、肯定的に整理したいと思います。今から100年ほど前に、ホセ・オルテガ・イー・ガセットやマックス・ウェバーが言っていたように、貴族が活躍していた時代は、貴族が政治に関与していたわけですが、貴族社会において、貴族の生活の仕方や心の持ち方と大衆の生活の仕方や心の持ち方は違うので単なる民主化は問題であると言っています。貴族は、常に名を名乗って、附和雷同せず、責任を取ることとなっております。日本の武士道も同じです。これに対して大衆は、名を名乗らず、附和雷同して、責任を取らない。つまり、今回の新型コロナ騒動も政治家やマスコミが大衆化したことと判断して良いでしょう。ここで重要なのは、貴族社会から民主主義へ移行したことは、ある意味で良いことのように見えるのですが、社会説明責任の大衆化により、名乗って、自分の考えをもって、結果に責任を取る社会から、名乗らず、付和雷同し、結果の責任を取らない社会へ移行したことが、現実的な結論と判断します。このような社会活動の構造にいち早く乗ったのがナチスだったということは、ご承知のここと思います。現代社会は、高級ブランド品も大衆が買える時代となり、それは良いことと思いますが、一方では無責任がまかり通る時代であり、ホセ・オルテガ・イー・ガセットやマックス・ウェバーが指摘した通りになりました。

今のネットは大衆のものですが、本来は、みんなが貴族意識を持ち、発言は社会へ影響し、場合によっては人を殺すことにもなりうるという道徳的正しさを改めて主張すべきと思います。誹謗中傷された被害者側も貴族意識を持ち、誹謗中傷を書かれたとしても「あいつは違うんだ」と強い心を持って対応できればいいなと考えます。

民主主義は、私は一応、支持おりますし、受け入れております。しかし社会説明責任の大衆化を健全にするためには、大衆が貴族化しなければならず、大衆が社会を創るという大変重大な責任を担っているという認識のもと民主主義を成立させ、その上での司法、立法、行政、マスコミという権力者たちが、金品から一切手を引き、質素で正直な社会が形成されれば、先人たちへも恥ずかしくなく日々を送れるのではないかと考えます。

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