【7/7】戦争遺訓を考える①

本日は、戦争遺訓を整理します。戦争に負けた翌年の昭和21年12月23日、シンガポール攻略戦とフィリピン守備戦で指揮を執った山下大将がアメリカ軍によってマニラで裁かれ絞首刑となりました。その時に彼は「待てしばし勲のこしてゆきし友 あとなしたいて我もゆきなむ」と辞世の句を読みました。軍隊の指揮官たるもの自らの命令で国のために命を落とす戦友に早く会いたいという願いを持っていますが、それが指揮官というものなのでしょう。辞世の句を説明するとその価値は半減してしまうかもしれませんが、山下大将は「いま少し待ってくれ。戦死した君のもとに私もすぐ行くから」と詠いました。

軍事法廷で山下大将に課せられた罪は、おそらく戦争直後に姿をくらまし、ほとぼりがさめた頃に出てきた辻政信に責をとうべきものだと思いますが、それもまた戦争の一つのあやに過ぎません。戦争は個人の運命を飲み込んで一気に進んでいくものなのであります。

そして、辞世の句とともに残した山下大将の遺訓が四つります。その第一遺訓は、以下のようになっております。戦争直後の日本の軍人の書いたものとは思えないほど、ある意味洗練されていて驚きます。

「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。
この人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。諸君は、いま他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人といえども、この責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶことは許されないのであります。ここにおいてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」
1 自由なる世界においては誰でもが、
2 自らの意思、道徳的判断力、自己責任感を持ち、
3 責任回避と安易な方法を避けよ。

戦争前夜から大戦中、山下大将は日本政府、日本軍部、日本国民が自らの強固な意志、道徳的判断力、自己責任感を失い、付和雷同し、責任回避をして安易な方法を選択してきたことを、敗戦直前に正確に指摘しています。

ところで戦前のことが語られるとき、「日本の軍部の暴走」とよく言われますが、軍部も一体ではありませんでした。細かい細工をして自分の仲間の利益だけを優先したグループと、山下大将のように細工をせず、政府の命令に従い、事実を優先するグループがありました。歴史は皮肉なもので、細かい細工をする人たちの行動は表面から見ると実にまともに見えるので多くの人の賛同を得ますが、これに対して愚直に誠実に任務を果たした人たちはまるで罪人のようになってしまいます。

世に言う関東軍の暴走、ノモンハン事変、シンガポール攻略に伴う華僑の虐殺、パターン死の行軍、ガダルカナルの玉砕など、日本軍の汚点とされるものは「細工をするグループ」の主導によるものでしたが「細工をする」という自体が「表面を塗布する」ことであり、それを潔しとしない人は細工をしないが故に、その責任を一身に受けることになります。山下大将はそういう人でした。
「私は貝になりたい」とはこの世の常でもあります。現在、かつての日本軍を批判する人が果たして山下大将のようなしっかりした倫理観、職業感、日本全体の動きについての見識や信念をお持ちなのか疑わしいです。

次回も山下大将の遺訓を整理してみたいと思います。

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