【5/28】私たちが学んだ歴史学を考える②

源頼朝、源義経、源実朝、北条時政、北条高時、足利尊氏、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川慶喜・・・すべての方々の画像を並べると、私にはみんな同じに見えます。人間に興味がある方々は、例えば源頼朝と徳川家康と全然違うじゃないか、と言われますが、私には同じに見えます。少し顔が細いか太いかの違いくらいです。また、その時代の庶民の生活もほぼ同じで、鎌倉時代の農村の絵と徳川時代の農村の絵(写真)もほぼ同じに見えます。おおよそ1400年から1850年までは、農村は、稲を植えて刈り取る。格好もほぼ同じです。違いがよくわかりません。

まとめますと、鎌倉時代から江戸時代末期まで、殿様も同じ、農村もほぼ同じです。なぜ、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代などなど、くまなく子供たちが覚えなければならない理由がわかりません。人文学や、大河ドラマが好きな方は、それは学問としてではなく、ゴシップとして興味があるのではないでしょうか。学問とは?、に入り込みますと横道それますので、今は止めておきます。

本日は、歴史は、文学か?科学か?です。歴史を文学的にみると大変面白いは面白いのですが(私も大好きです)、学問として、子供たちが知らなければいけないか、が論点です。事実の変化を習得することで十分だと感じます。

私から言わせれば、平氏を破って源氏が戦って勝った時も、鎌倉幕府が滅びて足利尊氏が幕府を開いた時も、豊臣秀吉や織田信長、徳川家康など、みんな同じに見えます。同じことを繰り返しているだけで、人が変わったのみの変化。俺が俺がと威張っているガキ大将の単なる覇権争いです。鎌倉幕府が滅びて足利尊氏になったら、農村にトラクターが入ったとか、織田信長が猛烈に改善して、農民がほとんどいなくなって工業が発達したくらいの変化ならばおさえておく必要があろうかと思います。

たしかに、実朝が殺されたのはかわいそうですが、歴史に出てこないような、一般庶民や農民が盗賊に殺されたことも同じくかわいそうです。歴史学は、支配者や戦争関連だけ教科書に書かれていて、一般庶民の歴史はほとんど出てきません。たしかに、左翼思想の方の歴史本を読むと、今度は極端で、農具の変化なんかを深堀されていて、読んでいて全く面白くありません。これらは、やがてマルクス史観につながったわけです。歴史学者の歴史は文学として面白いが、科学的には面白くないし、興味もありません。

まとめますと、歴史学に出てくる、アレキサンダーやシーザー、各殿様は、当時の人口の1%程度です。1%程度の狭い範囲の歴史を一生懸命学んだところで、子供たちが幸せになるのでしょうか?国際社会のウソや騙しに、正面から対応できるのでしょうか?

中学生ならこの程度で十分です。
鎌倉時代から江戸時代は、武家時代としてひとくくり。
源頼朝から徳川慶喜の間は、
・国民は、殿様と農民
・移動は徒歩
明治維新により工業が発達し、生産が増え、第二次産業、第三次産業が発祥し、大きな船ができ、鉄道ができ、自動車もでき、飛行機もできた。

こんなもんでいかがでしょうか?

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