【6/4】私たちが学んだ歴史学を考える⑤

これまでの整理で大きな山場を越えました。アーリア人が膨張し、宗教ができ、鉄器が使われるようになりました。その結果、哲学が生まれ、支配者ができ、人類の二極化が成立したということです。約1%の支配者と99%の庶民という構造で、1%の支配者は超デラックスな生活をし、99%は朝起きて働き、愚痴をこぼしつつ少しのお酒を飲みながら寝るという日々の生活です。現在は0.01%の支配者と99.99%の庶民という構造ですが、このことは別の機会に整理してみたいと思います。

前述の状況は1789年のフランス革命と、1950年ころの大東亜戦争まで続きます。つまり紀元前1000年から紀元後2000年までの間、1%の裕福な人達と、99%の一般庶民という構成となります。そして、学校の教科書は、1%の動きを中心に子供たちへ教えます。

まとめますと、紀元前1000年から紀元後2000年は支配層の歴史だった。紀元後1500年から2000年は、さらに侵略時代だった。私たちが学問として学んだ歴史は、おおよそ1%の支配層の攻防ばかりで、確かに、これら攻防は文学にも書けるし、ゴシップとしてNHKの大河ドラマのテーマとしても面白いわけです。しかし99%の歴史の中にも案外ダイナミックな物語もあったかもしれません。99%の歴史は現在の歴史学の範囲に入らないことから、学問として子供たちへは殆ど教えていません。さらに1%の歴史であっても、敗戦国の宿命ですが、教えてはならない歴史があります。例えば、東条英機は歴史的な貢献はものすごく、ノーベル平和賞レベルを超えた超人だったなんて子供たちに教えたら、親御さんやマスコミ、文部省、教育委員会などからバッシングを受け、その先生はすぐに袋叩きにあいます。さらに、次のことは絶対に教えられません。大東亜戦争で日本人が310万人殺されましたが、そのうち100万人が、子供や女性を含む民間人であり、軍人と民間人の殺された割合が2対1でした。一方、日本軍が攻撃して殺した軍人と民間人の割合が9対1なのにもかかわらず、またアメリカ本土へは攻撃していませんから、アメリカが日本に迫ってきたことが明らかなのに、それでも日本が侵略したこととなり、そして、アメリカによる日本への攻撃は美化され、原爆投下も「過ちは繰り返しませぬから」という主語が無い石碑を作り、アメリカの攻撃は「正義のための戦い」と正当化し結論付けられてしまいます。

NHK大河ドラマや、類する歴史ものが好きな日本人の歴史観は、文学的で人が中心になっていて、シーザーがどうした、アレキサンダーがどうした、ソクラテスがどうしただとか、チンギスハーンの子供がどうしただとか、シャルル5世は生涯トイレに行かずウンコをパンツの中にしただとか、チンギスハーンの長男は正式な妻から生まれていないだとか・・、それはそうかもしれないけど、私には興味がないです。歴史は、次世代の気付きと、未来の社会を築き上げるために使うべきで、ゴシップは趣味でやればいいのです。

そして次回で、この歴史シリーズは終わりになると思いますが、大東亜会議を中心に整理して纏めたいと思います。日本という小国が、アーリア人を中心としたいくつかの国と戦ったことで、最後の対アメリカ戦のみ負けましたが、それにより世界から戦争が無くなり、植民地であった国々が独立を果たしました。そして、その後の世の中は、金融資本時代、情報化時代、そして、今回の新型コロナ騒動が起爆剤になって、人類の心を支配する時代に展開されますが、皆様の洞察能力に期待し、そこは私も、もう少し勉強させていただき、じっくりゆっくり整理していきたいと思っております。

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