【8/30】焼き肉を考える

私は焼き肉が大好きです。肉と白いご飯の組み合わせは何とも言えません。あれほど美味しいものがあることは私の人生にとって幸福なことです。(人間はつまらないことに幸福を感じますがそれでよいと思います)
焼き肉を食べて不安になるのは、胃袋にギッシリと詰まっている肉を寝ている間に消化してくれると思いますが、なぜ胃袋は肉と胃壁を区別して消化するのかです。朝起きてみると胃はすっきりしており、夜の内に胃の中の肉は消化されたと思いますが、これがとても不思議です。牛や豚も哺乳動物で、私も哺乳動物ですから、牛や豚の肉と私の肉は見かけだけではほとんど見分けがつきません。専門家でも生の肉なら見分けがつくかも知れませんが、歯で噛んで粉々になった肉を見分けるのはできないと考えます。なぜ、胃袋は「これは焼き肉の肉だから消化しよう、これは自分の肉だから消化は止めよう」と区別をするでしょうか?なぜ、翌日の朝になると、自分の胃は消化されていないのに、胃の中にギッシリ詰まった焼き肉だけ消化されているのでしょうか?

 見かけで区別できなければ、DNAの分析をしなければならりませんが、私の胃がDNAの分析を出来ないのは当然であり、胃の消化に関するこの昔からの難問は最近、すっかり解明されました。まず、胃壁の断面の構造を整理してみましょう。

胃壁の断面は、内側から「粘膜層」、その下に中間的な「粘膜下層」というのがあり、外側に胃を運動させる「筋肉層」があります。胃の外側は自分の体の中なので問題がなく、食べた焼き肉を消化するのは胃の中ですから、粘膜の部分が食物の消化の最前線です。胃の粘膜には消化液の分泌細胞があり、そこからタンパク質を分解するペプシンと胃酸(塩酸)が分泌されます。強力な消化剤であるペプシンと塩酸で焼き肉を綺麗に消化します。最初から種明かしをしますと、ペプシンも胃酸も焼き肉と自分自身の胃壁を区別できません。同じ条件にすれば同じように消化します。そこで、主に2つの工夫を凝らして「環境の違い」を作り出します。

まず第一には、胃液を分泌する方向を「焼き肉方向」にするのです。つまり胃壁から直角に、そして勢いよく出します。例えば、自分が水道のホースをもって相手に水をかけると考えたわかりやすと思います。もともと水で濡れれば自分も相手も同じだが、自分がホースをもって相手に対して放水すれば、相手だけが濡れて自分は濡れないといった感じです。

第二に、粘膜の上(胃の中側)に「粘液層」を作ります。粘膜の中の粘液細胞からどんどん「粘液」を出し、この粘液は粘液細胞のノズルから出ると左右に広がって粘膜を覆います。つまり水道のホースで相手に水をかける時に、自分は乾いたバスタオルを体に巻いておくようなものであります。相手にかけた水のしぶきが自分に返ってきたら、そのバスタオルが自分を守り、胃壁の場合は粘液層の「粘液」が少しずつ流れ、それが胃壁を守ります。もちろん粘液自体もやられていきますが、液体だから次から次へと作って新しくノズルから供給すれば何とかなり、これが防御の第二弾であります。

今から20年ほど前の1983年になってこの胃壁の粘液を住処にする細菌が発見されました。有名な「ピロリ菌」です。この細菌はどういう訳か胃壁表面という戦いの最前線で生活することを希望したらしく、生物にとりましては消化薬や塩酸が飛び交うもっとも危険な地域ですが、そこが大好きで、人間で言えば好んで弾丸飛び交う戦場に住居を構えるようなものですから、かなり変態です。ともかく胃壁の表面にスムースに粘液が流れなければならないのに、そこにこの変態な細菌が住居を構えていますので、流れは滞りますし、細菌が中和剤を作るのでさらに混乱します。防御網はピロリ菌の付近で破れ、突破され、だから胃壁の損傷・・たとえば胃潰瘍・・・などにピロリ菌は強敵なのであります。胃液のホースを相手に向ける、しぶきは粘液の膜で防ぐという方法でともかく胃壁を何とか守っています。つまり、焼き肉と人間の肉の区別はできないので、それはあきらめて、物理的空間的に守るのであります。人間、できないことはできない。あきらめが肝心です。それが自分の希望にあわないからといって、できないものはできない。次善の策を取るだけであります。この考え方は、特に子供の教育でも重要です。

ところで、この二つの防御だけでは、腹一杯食べた焼き肉を消化する時の防御には不十分であります。やはり胃壁近くまで牛肉が来るので、しぶきはかかるし粘液膜には「むら」があります。どうしても胃壁表面の粘液細胞は損傷して死ぬわけです。また強いお酒が好きな人は40%以上のアルコールを飲みます。アルコールは分子だからどんどん胃壁の中に入っていって粘液細胞を傷つけます。そこで、粘液細胞は戦いで消耗する兵士のように「補給」しなければならなりません。どんどん増殖して補い、だいたい、粘液細胞の平均寿命は5日程度です。

この世の中は戦場です。生物同士は戦い、生物の中の消化器でも戦っています。平和主義者が「この世から戦争を無くしたい」と言う時には、「戦争」がどういう定義なのかをハッキリさせておかないといけません。人間にとっては人間同士の戦いだけが関心事かも知れませんが、他の生物に取っては人間が一番危険な生物であり、人間との戦いに勝たなければ自分が死にます。彼らの戦争は、種と命を守るための聖なる戦いなのでります。生物で前線に立つ細胞はいつも危険を伴い、消耗が早く、そして廃棄物になります。動物の皮膚は紫外線や外部からの攻撃に対して身を守ります。だから激しく劣化するので、定期的に交換します。それが「垢(あか)」です。樹木の皮は、樹木を外界から守ります。そのために樹木になる細胞は生まれた瞬間から早く死ぬ準備をしてコルク層になり、さらに完全に死んで樹皮になります。死んだ自分の体は樹木の内側の細胞が表面に押し出してくれ、死して表面に出てきて、そして自ら防塁になるのであります。胃壁の粘液細胞も、動物の皮膚の細胞も、そして樹木の皮も、戦い、劣化し、そして捨てられます。生きとし生けるもの、そして生命の無いもの・・・すべてのものは「物とエネルギー」を捨てることによって活動を得、生きていることとはそういうものであり、自然現象とは、だから美しいのであります。人間が自分の欲得で「一度、使った物をもう一度、使おう」などと考えても、それは自然が許してくれません。そういう意味でも、役所が中心として行っている環境リサイクルは、やはり反自然的であり、反社会的活動と考えます。

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