【10/28】サラダを考える②

サラダを考えようとし、いろいろ検討しております。時間が少々かかってしまうのは「サラダを食べることは身体に良い」という先入観が支配している社会なので、なかなか真実に辿り着けなくて、時間がかかっている所存です。

物事を考える時、相手の立場になれるかが大変重要で、今回の検討では植物の立場になってものを考えてみるということです。植物は生きているものなので、必ず防御系が存在するはずです。どうやって防御するかというと、一般的な生き物は、逃げるか戦うかとなるのですが、植物は動くことができないので、敵をやっつける程度の毒を仕込むほかないのです。つまり、葉の部分に毒を仕込んでおくのです。薬草などという物があります。薬は基本的に毒なので、薬草という言葉は大変納得感があります。結論としますと、葉っぱには毒が仕込んであるということです。

次に、植物の油はどうなんでしょうか。日本栄養士学会の論文では、油と栄養の関係を研究されています。金儲けを目指した学者ならば、サラダ油は健康に良いと言っておけば、スポンサーもつくし一般受けするので、背徳心を感じながらも気楽に生きて行けることとなるのでしょうが、日本栄養士学会は大変立派でキチンと植物油の事を学問的に整理されています。まず、ホルモンに悪影響を及ぼすとなっています。何故かと言いますと、人間の身体は食べたものを消化できるのですが。これは、食べたものを一旦アミノ酸まで分解をしております。何でアミノ酸まで分解できるのかと言いますと、タンパク質というのはアミド結合というので結合しておりまして、アミド結合というのは人間の場合容易に分解できます。そして一旦全部アミノ酸にバラバラにして、人間の肉に組み替えています。ところが脂肪(油)だけはこれができません。何故ならば脂肪は、炭素-炭素結合なので、これは原則としては分解できません。分解できても非常に手間がかかってしまうので。そうしますと身体は面倒くさくなり、「そのまま使ってしまえ」と判断してしまうのです。従って、動物の油の方が人間に近いので、相対的に植物油よりも動物油のほうが人間の躰にマッチするのです。

室町時代に天ぷらという料理が出回りました。天ぷらは植物油で揚げますから、それを食べると体の調子が悪くなってしまったのです。江戸時代では、天ぷらは食べなくなり、江戸時代の時代劇でも天ぷらは登場しません。そして明治時代に天ぷらがメジャーになったのですが、これは何故かと言いますと、動物油の半分くらいならば植物油を摂っても害が出ないということが分かったのです。明治時代に牛や豚の肉を食べるようになったので、その結果植物油を食べられるようになり、その結果天ぷらも流行り出したという事になります。

現代社会では、動物油はコレステロールになるので植物油の方が健康的であるという説が一般的です。誰がこれを言い始めたのかを整理しますと、結局分かりませんでした。テレビだとかそのスポンサーの都合かと思われます。

サラダの語源はソルト、つまり塩を野菜にかけて食べるという風習がその由来なのですが、確かに塩のみの野菜よりも油をかけた方が美味しいのは確かです。しかし、なんとなく健康に良いからという安易な判断や、植物油製品が沢山売れて儲かるからなどという一部の非道徳人によって支配されるのは、私は嫌気が差してしまうのです。しかし、サラダが好きな私はついつい食べてしまうのです。健康に良いからではなく、食べたいからという理由で毎日食べています。

社会は、揺らぎの塊です。しかし学問を信じる私は、揺らぎや矛盾も受け入れられます。何故なら、学問的に整理した結果の大半が、反社会的であり、反政治的であるからです。戦後75年を経過して、自由を手に入れたはずなのですが、格差が広がり支配層による巧みな戦術で、戦略までも見失う世の中になってしまいました。反省しております。

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