【11/21】嘘を考える

本日のブログは随筆です。

社会は嘘だらけと言いますか、ほとんどが嘘と私は考えています。しかし人間は、心が支配している生物ですから、不安や恐怖を和らげるための一つの手段として「嘘」が存在すると思えば少しは納得できます。しかし、嘘をついて良い場合とついてはいけない場合の線引きがあるはずなのですが、その線を超えて嘘をつかれると、本当に憤りを感じてしまいます。以前ブログで整理したのですが、専門職の中でも特に学者は嘘をついてはいけません。つまり未来を確定的に語ってはならないのです。これは学問倫理に著しく反する行為として厳しく処罰せねばならないと私は考えます。

少し前の話ですが、新型コロナウィルスに関して、今年の4月に発表した北海道大学の西浦教授が「自粛生活をしなければ42万人が感染により死に至る」との見解を正式に発表しました。しかし、事実は違いました。これは明らかに学問倫理に反しています。つまり、コンピューターで試算しただけの数字を、一般庶民が、真実と錯覚することを承知で嘘をついたわけです。もし、西浦教授が本当の学者ならば、直ちに間違っていたことを同じように発表し、その間違いの要因を丁寧に、さらに一般庶民が理解できるような内容で発表すべきだと私は考えます。

ビジネスマンや政治家は、未来の事を職としていますので、基本、嘘(つまり未来)を扱うのがその役割ですが、学者は、確定的事実を整理し、その結果としての意見を作るまでに制限されているはずです。

少し難しくなりましたので、簡単な話に戻しまして、私の嘘をつく原則を紹介します。
「相手が真実を知っているにも関わらず嘘をついている相手のみに嘘をつく」です。夜のお店で私の事を「素敵ですね」と明らかな嘘をつかれたならば、私も嘘をつき通すといった感じです。

これから、子供たちには、国語や算数に入る前に、学問とは何かを、しっかり教えるべきでしょう。それは、分かったことと、分かっていない事の線引きがしっかリ出来るようにすることであり、分かっていない事を、はっきりと「分かりません」と発言させ、これができている事をプラスに評価してあげる事が大変重要であると私は考えます。

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