【4/15】感情を考える

親が子供に教育することは義務であります。戦後の学校教育制度は、アメリカ型を採用しましたので、それを正しく理解し実施すれば良いのですが、上手くできていません。現代学校教育制度は、親が教育の全ての責任を担い、学校と先生に教育を委託する構造なのです。そこでPTAが生まれ教育の内容や質を議論し、先生に教育を施していただくのですが、全くこれは機能していません。

ところで、私事ですが、私の息子は、幼少期、一般的な社会から見るとネガティブな幼児でした。発達障害者だったのです。福祉施設に入れられ、主要科目は、個別の部屋で特別な先生によって授業を受けたり、母親も相当悩んだりしていました。

しかし疑問が湧きました。大体、何らかの基準で測ると、それからズレる者が現れるのは当然でして、基準からズレたらそれをネガティブに評価するという仕組みの問題であり、本質は違うのではないか、と言うことです。大事なことは、起きている現象そのものに向き合い、判断を急がず、適切に行動することとであります。

そういった幼少期に問題児だった息子へ施した教育論の断片を、振り返りたいと思います。本日は感情のメカニズムについてです。

人間は、人ではありませんので、「間」が重要です。人が人間になるには、集団への貢献が使命であり、人間は群れをなして、初めてエネルギーが生まれると言うことです。このことを「絡合(らくごう)」と呼びます。絡合エネルギーは以前このブログでも整理しましたが、現在の物理学が相当いいところまで及んでいますので、引き続き注目したいキーワードです。

ところで、教育の対象は、個別の肉体と精神です。人間をハードウェア(肉体)とソフトウェア(精神)に分け、さらに精神というソフトウェアも、本能(OS)と理性(アプリ)に分けて整理します。もっと難しく、アフォーダンスやミラニューロンなど整理は可能ですが、私のような普通の人間ならば、この程度でよしとします。肉体の教育は比較的簡単と言いましたら語弊がありますが、一方で精神への教育は難しいとされています。まずは、精神の動きである感情を整理して、メカニズムを理解しなければなりません。それは、「驚愕」「恐怖」「怒り」を通じて適切な行動を取り、その結果「安定(進歩)」するというプロセスです。精神教育の第一歩として、このプロセスを反復させ感情を高めることから始めました。そして、最後の怒りこそ、進歩へ向けた行動のきっかけになります。驚愕が大きければ大きいほど恐怖も大きくなり、比例して怒りも大きくなります。そうすれば進歩のスピードも大きくなります。英才教育を行なっている親御さんは、是非ヒントにしていただきたいと思います。当然、教育にはリスクが伴いますので、そこはマネジメントが必要ですが、リスクがあるから何もしないというような現在の教育では、全く進歩のスピードが上がりません。

進歩の根源としての「驚愕」の与え方が重要でして、まさに、驚愕を与えられる方を教育者としての先生や親と呼ぶわけです。驚愕は、自然を使って与えるのか、先生や親がその環境を作るのか、はたまた体罰で行うのかは悩ましいところですが、現代は、体罰が暴力と誤訳された社会であり、それに制限がありますから難しくなります。

教育こそ、次世代のためのものであり、子供たちの進歩を目的としたものであることは信念として皆様共通の念だと思いますが、今やっている教育が、本当に子供の進歩に繋がっているのか、ということです。平等は、上のものが下に近づくのではなく、下のものが上に近づくと言うことです。常に能力の高い者が善であり、能力の低いものは、善人になるために努力をする。平等と平均は全く相違するものであります。

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