【5/28】タバコを考える

タバコは癌になりやすいという社会の先入観があり、禁煙運動が当たり前に認められていますが、人々に与えられた権利に反する領域は、学問の範囲に入らないというのが私の見解です。そこで、喫煙や副流煙と癌の関係をあらためて整理してみたいと思います。

事実だけを整理しまうと、たばこを規制し始めて、男性の喫煙率が85%から30%になり、女性の喫煙率はほとんど変わっていませんが、20%が17%になりました。女性の副流煙もほとんどなくなりましたが、その結果、乳癌は6倍に増加しました。これは先入観を排斥し、事実だけを整理しますとこうなります。もう一つは、発癌性物質が癌を発生させるという間違った考えがあり、それが定着してしまいました。主に環境運動家が仕掛けた間違いですが、社会はそれを信じてしまっており、発癌性物質を排斥し続けています。

しかし、人間は、例えば無菌室ではすぐ死にます。風邪をひいたり下痢をしたりしまして本当にすぐ死んでしまいます。我々の体の細胞は数十兆ありますが、それと同じ程度の細菌などの微生物が、身体に宿っています。つまり親から授かった細胞が半分、もう半分が細菌・ウィルスとなります。つまり、人間に対して発癌性のあるものは必ず必要だということです。

その一番典型的なのが太陽の光です。太陽は原子炉そのものであり紫外線は発癌性物質です。発癌しないようにというよりは、ある程度発癌するようにメラニンによって肌の色に変化があります。皮膚癌の発症が一定の比率で決まっているわけです。ある程度(社会が許容できる程度)皮膚癌を発症し続けた方が、社会免疫が安定するということです。単純に考えれば、我々の黄色い肌を黒くすれば皮膚癌が無くなるので黒くすればいいではないかと思うのですが、なぜ黄色い肌のままなのかは、発癌性物質を浴びた方が、血中などにある癌に対する免疫細胞(TNFなど)が、リストラされないのです。ラジウム温泉も同じで、あえて発癌性物質を浴びるのが健康的かというと、ラジウム温泉の放射性物質に対して我々の免疫力の方が上にあるので癌に直結しません。ラジウム温泉を浴びることで、より免疫力を高めるという効果が期待できるのです。

この世から発癌性物質を排斥し続けてしまうと、まず社会免疫力も個人の免疫力も下がり、ほんの少しのショックで癌になりやすい体に変化してしまうのです。元々、癌は、自分の細胞が自分自身の細胞を破壊する行為ですので、病気というよりは自殺に近い現象であると、私は、色々な論文を読んだ結果、そう考えています。

タバコのように、長く人間社会に根付いている物には、必ず理由があり、必ず人間に良いものが続きます。「タバコを吸うと癌になる」というのは理論のようで理論になっていません。人間の頭の中で考えるだけではダメで、結論をすぐに求め、断片だけを議論する変な癖が人間社会に定着してしまっているので、それを利用して、権力や金もうけを意図してしまうと議論が浅く狭くなってしまいます。今、問題になっている何とかウィルスも、自然の一部ですから、それを排斥したり、反自然的に対応してしまいますと、社会免疫のバランスが崩れ、ますます偏った方へ向かってしまいますし、現実向かっています。ワクチンという反自然的なものを打ち続けなければならない社会を目指しているように見えます。

社会の許容と個人の許容、この許容限界をハッキリさせ、民意8割、権力2割くらいの規制で社会を構成するのが、健全な民主主義ではないかと思うのです。小さい話ですが、警察による一時停止違反の取り締まりのように、陰でこそっと覗き見しているくらいなら、停止線に警察官を一人おき、一時停止を促す指導をすればいいのになと思うわけですが、陰で見ている警察官、違反者を停止させる警察官、違反切符を処理する警察官と、逗子市の取り締まりでは、大体3名くらいの警察官が対応しています。彼らの人件費に対する安全運転啓発への貢献は全く低いと思います。民意を無視し、権力に依存した納得性のない取り締まりをしてしまうと、結果として、社会の交通道徳は悪い方向となり、遵法認識が「取り締まりがあるから」という思いでルールを守る、極めて幼稚な社会に繋がります。

物事の決定は、民意8割、権力2割くらいで、自由、活発で愉快な社会を目指したいと強く考えるのであります。

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