【8/6】原爆を考える

「原子爆弾を人のいるところに投下した科学者」というのがいた事そのものが信じられません。現在でも、世界に原子爆弾が2万5千発もあること自体が信じられません。なぜなら、科学者は、原子爆弾がどのぐらいの熱を出すのか、その熱が人間をどうするのか、それはハッキリと分かるはずだからです。

それでも、原子爆弾は広島に落ちました。 落ちたのは偶然ではなく、科学者が作り、政治家が落とす決意をし、そして軍人がエノラ・ゲイを操縦したからに他なりません。

もし、原爆投下地域に自分の娘がいたら、投下したでしょうか。広島第二女子中学校の生徒と先生は、原爆によって亡くなりました。

もし、自分の娘がいたら投下しないというなら、彼らは人間ではありません。でも原爆投下に関与した人に娘さんがいなかったとは考えられません。


原子爆弾を広島に投下するということは、彼らにとっては「正しかった」わけです。正しくなければ投下しません。この子供たちと先生を殺すことは正しかったと、今でも言っていますし、日本人もそれに同調している方もいます。でも、そんなことがあるはずありません。 それは正しいかも知れませんが、間違っています。

私は「これをやりなさい!」という人がイヤです。もっとイヤなのは、他人に「これをやりなさい!」と言って、自分はやっていない人はさらにイヤです。自分の娘が広島に住んでいたら、原子爆弾を落とさない、住んでいなければ落とす・・・私はそれがイヤでたまりません。

アメリカは日本に原子爆弾を投下したことについて、いまでも謝罪をしていません。そればかりか東京裁判で日本の指導者を絞首刑にしました。

アメリカと仲良くしていればお金はくれるかも知れません。でも。お金は人生を不幸にはしても幸福にはしません。それより何より、父母を守り、子孫を守ろうと思ってアメリカ軍と戦って死んでいった人、広島で命を落とした学生達・・・

そして、終戦の日に流れた、史上初めての玉音放送の最後に述べられていること。現在の私たちへのメッセージがとても重要な部分です。

「もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同士で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところである。そのことを国を挙げて各家庭でも子孫に語り伝えなさい。そして神国日本の不滅を信じ、任務は重く、道は遠いことを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、動議を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し世界の進む道に遅れを取らぬよう心がけなさい。汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ」

もうすぐ終戦の日です。

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