【9/10】教育基本法を考える

日本の将来に何が大切かと言って、次世代を担う人ほど大事なものはありません。女性が出産することが少なくなり、日本の人口が減る・・・減ると年金が困る・・・などとつまらないことを心配するのは、将来の日本を軽んじるような気がします。

大切なのは次世代の国民の「数」ではなく「質」であり、国民の数が減って、少人数教育が出来るようになれば、質は向上し、日本の将来は明るく好転するでしょう。

しかしながら、教育基本法第一条、「教育の目的」が教育現場で軽んじられていることであります。

教育基本法第一条 [教育の目的] 

「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

教育の第一の目的は人格の完成であり、より具体的には、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神の満ちた、心身共に健康な・・・ということになるはずです。「人格」の内容は少し抽象的なので、まず具体的に表現されていることと現代の教育を比較してみたい。と思います。

学校では学問を教え、そして学問は「真理」を探求するものだから、学問を教えることを通じて「真理を愛する心」を育てることができるのですが、現実に行われている学問の教育は職業的な内容を持っており、必ずしも真理を愛する心を育てるための学問を教えているとは言えません。 

「正義を愛する心」を育てる教育は皆無です。学生は隙あらば講義をさぼり、講義中でも私語をし、時には友達のレポートを写して提出してくる。およそ正義とはかけ離れています。

せめて日本海軍の江田島で教えていた「五省」でも取り入れたいと思うくらいです。

「個人の価値を尊ぶ」教育はある程度、行われている。学生の自主性を育てようとして先生は努力しておられますが、他人を尊重することが大切という教育が行われているかというとこれも落第です。学生はとてもわがままで、ほとんど自分のことしか念頭にない。でもそれは「個人の価値を尊び、他人を尊重する」という具体的教育が行われないことが原因していると思われます。

「勤労と責任を重んじる教育」もなされていなません。確かに学校は職業教育を行っており、法学部を出れば法曹関係や企業の法務へ、経済学部を出れば企業経営に、工学部では技術者を養成すしますが、しかし、その教育課程で勤労の大切さを学ばせたり、まして責任を重んじる教育など見たことがありません。

逆に「ほとんど大学に来ない怠惰な学生でも試験の成績が良ければ卒業させる」「研究室に配属されてもほとんど共通的なことに注意を払わず、責任を果たすことは卒業要件に入っていない」というのが現状であります。

「自主的精神」も怪しいです。学生は自己を主張したり、自分を防御することはできますが、なぜ、この学科を選んだのか?」と聞くと、「高校の先生が行けと言ったから」という返事が返ってきます。偏差値にあわせて生徒の進路を決めるらしいのです。

「心身共に健康」となるとさらに怪しいです。すでに大学での「体育、スポーツ」の授業はほぼ崩壊しています。

学校は、教育をする場所であります。そして教育は教育基本法に基づかなければなりません。もし学生が「私は人格の完成も、正義を愛する心も、そのほか、教育基本法に定めるような力はつけたくなんかありません。技術を身につけて職業につければ良いのです。」という希望なら職業学校を紹介する方がよいです。日本の学校は文部科学省管轄で、「教育基本法」の下にある「学校教育法」で作られた学校だからです。 

 日本の学校がこれほど教育基本法と乖離した原因は、社会の拝金傾向から来ていると考えています。本来、人格の優れた人間が社会の上位にあり、お金持ちはやや軽蔑されるのが適当であるにもかかわらず、現在はお金さえ持っていれば尊敬され、お金が能力の尺度になっているからであります。

現代の社会に適合する人材を育成するなら教育基本法の第一条は改訂したらどうでしょうか。

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