【5/15】ダイオキシンのウソについて考える

今のコロナ騒動を鑑み、ここで、類似する過去の事実を少し整理したくなりました。この事件は、おそらく歴史的にも残ると思いますが、一般の方が騒ぎ立てるに至っておりません。納得感が強いものは、それがたとえ嘘でも見て見ぬふりをする日本人特有の結末なのかもしれませんね(愚痴)。これは、一種の大々的な科学を題材にした詐欺事件でした。

今回は、最初に言い出した人が故意だったか、それとも錯誤だったか、あるいは、故意でも錯誤でもなく人間の認識の限界だったか、について少し考察してみたいと思います。

まず、ダイオキシンは、ほぼ無毒です。ダイオキシンの中身はココでは深く書きません。論点が違いますので。ちなみに、これまで、ダイオキシンで亡くなった方や重病になられた方は一人もいません。

論点を戻しまして、あの当時、それを猛毒と表現し、大きな一つの産業を作り出しました。この詐欺事件で巨額の富を得た人は、かなり多いです。19世紀のおわりから、急に進歩してきたドイツの有機化学という学問は、染料の工業や新しい薬品の発見につながり、やがて石油化学にも発展して、わたし達の豊かな生活の基礎となりました。そして、20世紀の半ばになると、さらに発展して、多くの塩素系の化学物質がつくられるようになり、それらの一つとしてDDTやBHCのような殺虫剤が発明されました。いまでは「塩素系有機化合物」というと環境を汚すものの代名詞にようになっていますが、その誕生は輝かしいものでした。特に、DDTは毒性が弱く、害虫を駆除する力が抜群だったので、多くの国の人が、害虫の苦痛から解放されました。それは、毎日の生活が快適になることであり、さらに、寿命も大幅に伸ばすことができたのであります。それから数10年、塩素系の化学物質が大量に作られ、あらゆるところに散布されました。でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはよく言ったもので、あまりに素晴らしかったので塩素系薬剤を使いすぎたのです。もともと塩素系殺虫剤は「殺虫剤」だから、虫や小動物の繁殖を抑えます。その意味では「人間の役に立ち、自然の体系を壊すこと」を目的としているので、DDTを使いすぎれば、自然の体系が破壊するのは当然のことでもあります。そこで、大量に使い出してから10年、虫の鳴き声は小さくなり、虫を食べる鳥もさえずらなくなりました。これは論理としては当然のことで、なにも驚くことできません。

そして、「沈黙の春」という本を出版して、環境問題の口火をきったアメリカの女流研究者、レイチェル・カーソンは塩素系の殺虫剤が環境に与える影響に気づき、克明にアメリカの湖沼で動植物の状態を観測し、記録しました。もともと化学物質は人間や動物に影響の強いものであります。あるものは栄養になり、あるものは薬、そして命を奪います。

私はコーヒーが好きで、お酒をたしなむ。コーヒーは、ひとときの憩いをもたらし、ときには見知らぬ地のオープン・カフェで夕暮れの風を楽しむ機会を与えてくれます。また、ある時はこってりとして豪華なディナーのあと、そして愛する人との間に、そしてまれには哀しみとともに飲む苦い液体ともなります。でも、コーヒーに含まれるカフェインは強い毒物で、わたしは一日に致死量の10分の1を飲んでいるのです。コーヒーに含まれるカフェインの危険より、お酒のアルコールが麻薬であり、毒物であることを知らない人はいませんね。致死量の半分を飲むこともまれではなく、習慣性もあるし肝臓をこわし、寿命にも影響をあたえます。でもこの毒物のおかげで人生を楽しく過ごし、ときに失恋の痛みをやわらげてもくれたりもします。

化学物質があるときには毒物で、あるときには必要なもの、そんなことは判っているはずだったのに、DDTのあまりの便利さについ油断して、「薬には致死量がある」、「殺虫剤は虫を殺す」ということが忘れさられていました。それをレイチェル・カーソンが警告したのであります。彼女の功績は大きく、当たり前のことでもみんなが気がつかないこと、忘れていることを思いださせてくれました。人類は彼女のお陰で環境の大切さに気づいたのであります。でも、次には、それに悪のりする人が出てきました。現実にはあり得ないほどの量を動物に与えて実験をしたのです。そうすると、どんな化合物も毒性を示し、多くの化学物質が「毒物」になりました。しかし「毒物を発見した」ということで有名になれます。次に、実験する動物の種類を増やして、その中で一番、弱い例を拾い出す。そうすると、それでまた一つ毒物が誕生する。このようにして次々と毒物が「生産」されて来て、それには実験の仕方が意図的だったということの他に、「この化合物は安全である」という結果を出しても社会は関心を示しません、「この化合物は発ガン性がある」というとニュースになるという不都合も重なってしまいました。

19世紀には、研究者というのは余離れしていて、自分の研究が社会の注目を引くことなど最初から興味が無かったのです。だから、ニュースになってもならなくても、そんなことには関心がなかったわけですが、20世紀の終わりになって、すべてが「お金」で計算されるようになると、ニュースにでることは研究費が増えることであり、それがなければ研究も滞るようになってしまいます。そして、社会も安全なものは忘れて、危険なものだけを覚え、その陰におびえてしまう様になったのであります。事実が歪められる社会ができると、まじめで正直な学者は隅に追いやられ、科学的事実は軽視され、建前とペテン師が幅をきかせます。レイチェル・カーソンは事実をよく観察して警告したのですが、彼女の本を読んで環境への関心が高まった世論は、実験条件などの大切な前提をあまり考えずに、「毒なら騒ぐ」という一種の文化ができてしまいました。そのような社会環境の中で環境ホルモンと呼ばれるようになる一連の「新しい毒性物質」が誕生しました。

その中の優等生が「ダイオキシン」という名の化学物質でした。

この新生児には「人類史上、最悪の毒物」という判りやすいコピーがつけられ、誕生とともに、人気を博し、世界的に有名になり、そして直ちに、ダイオキシンの真実は、ついにわからなくなってしまいました。ダイオキシンは猛毒だと言わなければ、直ちに袋だたきにあうという実に奇妙な雰囲気が生まれたのであります。

ダイオキシンとはなんであろうか?人類が生んだ、この新しい子供はどんな性質だったのだろう。

宮田

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