【12/28】絡合を考える

令和2年も残すところ、あと僅かになりました。学問が及ぶ範囲は限定的で、社会との隔たりもあり、ストレスを感じますが、人間という動物が、なぜ幸せに過ごせないのか、という難題は、近年、物理学が相当いいところまできていて、人間の幸せの真理が解き明かされようとしています。本来、人間の幸せという学問は、心理学者や社会学者が研究すべきなのでしょうが、文科系アプローチは、どうしても演繹法なので、なかなかその壁を破ることができずにいます。日本は、文科系と理科系を分けるのと、幸せに関心を寄せる学者が、大体、算数が苦手ということと重なり、なかなか解き明かすことができないのですが、一方で、物理学者は頑張っていて、人間の幸せの心理を解明しつつあるのです。その断片をご紹介したいと思います。

大昔、単細胞生物だったのが多細胞生物化するのですが、細胞同士が身を寄せているわけです。このように絡み合って一つの生物を構成することを「絡合(らくごう)」と言います。くっついて一つになるのではなく、絡み合うので絡合といいます。約5億5千万年前のカンブリア紀という時にできたとされています。

上の写真のプラナリアという生物は、頭をちょん切ると頭が生えてきて、しっぽをちょん切るとしっぽが生えてきます。頭の近くに切れ目を入れると、もう一つ頭が生えてきたりもします。自分の体の形をどこで記憶しているのか?という難題は、いまだに解明されていないと思います。さらに、頭を切って、再度生えてきた頭に記憶も残っていることがわかりました。かなり大雑把ですが、これらを支える仕組みが絡合ということです。

難しくてわかり辛いかもしれませんが、他の例をあげたいと思います。前述の2億年後、多細胞生物になっても、単体で生きることができなくなり、群れを成すことで生き抜くことができるということが判明しました。海に泳いでいるイワシは、敵が現れると瞬時に群れを作り、敵の魚より大きく見せる行動をとります。群れになったイワシ同士の連絡手段は、現在も解明されていませんが、絡合していることは明確になりました。

別の例では、仁徳天皇の「民の竈はにぎわいにけり」というお言葉も、絡合しなさいという深い意味が込められています。集団でないと人間も成立しないということです。データ的にも明らかで、独身で扶養がいない男性の平均寿命は明らかに低くなっています。女性は別の理由があるので、それに比べ長生きですが、このことは別の機会に整理します。

整理しますと、多細胞生物になり、手も足も目もできたのですが、独りぼっちではうまく生きられない。多細胞生物が集合し、絡み合うことで初めて生きていられるということです。そして、物質と情報がすべてではないということです。物質と情報がすべてなら、その二つでプラナリアの再生を証明できなければならないのですが、まだできていません。

物質と情報がすべてというのが一般人の常識ですが、我々は、まだまだ分からないことがたくさんあるのです。人間の欠陥は、自分が理解できている内容で正しさを判断する癖があることです。さらに、一番初めに入ってきた情報が先入観となり、初めての情報が、おおよその自分にとっての正しさの基準となってしまうので、それに反していると、まず間違っていると誤判断してしまうことも大きな欠陥です。新型コロナ騒動はその人間の悪い癖を利用した、世界レベルで特定の人が大金持ちになるためのキャンペーンであると私は考えています。

絡合に話を戻し、具体的には約2000年前に人間が発見できました。法華経もそうです。(法華経は1700年前ですが)

絡合についてまとめますと。
・すべての物は個別には自性がない
・絡合によって存在する
・しかし、ヨーロッパ近代科学の発展により、相互作用の概念(つまり絡合)が発達しなかった。現在でも個人と権利を中心とした社会になっています
・しかし、絡合を示す事実はいくらでもある

教育基本法第1条で、個人を強調し、国家、集団、家庭が削除されてしまっておりますが、個人では、生物の物理的観点からでは、生きることができません。たしかに滅びませんが、西洋医学によって生かされているとも見えてしまいます。絡合こそ、我々の基本であり、個人は絡合のために存在する。そして我々は、絡合によって正しく生きることができ、それは一番幸福な人生に成就する。いまこそ絡合という概念が中心になるべきと私は考えます。

現在の物理学では、絡合が、物質と情報では動いていないことは判明しております。そして、生物は一人では生きられないということも判明しています。不幸になるのが絡合の不足であることも判明しています。お釈迦様やイエスキリストは、この人生は絡合だとおっしゃっています。木星や土星のように離れているものも、一つだとお釈迦様が説いています。

「地球が中心と言っても間違いではない。太陽が中心と言っても間違いではない。お互い絡合して一つの宇宙を作っているのだから、中心がどこだなんて言う必要がない。」

この言葉が、令和2年を締める私の言葉です。本年もありがとうございました。

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