【1/7】私たちの未来を考える

本年もよろしくお願い申し上げます。

年末年始は、私たちの進むべき道をあたらめて考えておりました。過去にこのブログで取り上げましたが、私たちの未来の重要な要素としての教育を再整理したいと思います。

「教育勅語」は日本を悲惨な太平洋戦争に導いた原因を作ったとされまして、悪名高い状況です。そこで、改めて、読んでみなおしてみたいと思いました。

まとめますと、以下の4つが書いてあるということが理解できます。
1. 親、兄弟、夫婦、友人、社会を尊敬し、仲良くしよう
2. 学問、能力、人格を磨こう
3. 法律を守り、国を守ろう
4. 祖先の努力を受け継ごう
実にもっともなことが書いてあり、もしこれが実践できていれば、と思う次第です。しかし、現在では「日本を戦争の渦に巻き込み悲惨な目に遭わせた悪の権化、それが教育勅語だ」と言われてしまっております。

一方で、現在の教育基本法には教育の目的が、以下のように書かれています。
「第一条(教育の目的)
教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない.」
さすが名文でしかも理想的な教育像のように見えますが、家族とか親兄弟友人という言葉は出てきません。親、兄弟、夫婦、友人との関係、国家や祖先に対する役割は除かれてしまっております。

教育勅語と教育基本法を頭に入れまして、次の文章を読んでみたいと思います。

現代の日本の大学教育、特に科学技術系の教育についての「国民的コンセンサス」として書かれた文章でして、現代の社会で指導的な地位にある立場の人が書いています。
「大学生の、特に理数系の学力低下は技術立国日本にとっては極めて深刻な事態である。それを解決するための最も効果的な施策は大学の教養課程を廃止し、専門基礎知識を集中的に高めることだと考える。高校教育では、数学、物理、政治経済、日本史、世界史、古文、漢文など幅広い比較的高等な授業を受けるが、これらの幅広い知識が社会人になってから実際に役に立つ可能性は皆無に近い。」

教育勅語が明治23年10月30日に発布され、それに代わり教育基本法が昭和22(1947)年3月31日に施行し、そして最後の文章は2004年時の教育に関する論評でです。この3つの中で、「教育と国家」が直結しているのはどれか?ですが、私は2004年版の最後の文章のように感じられます。2004年のこの考え方に対して、国家主義の原点のように言われている教育勅語はそうではありません。教育勅語の文章をそのまま読んでみると、まず親、兄弟、夫婦、そして友人、社会、学問、人格、遵法精神ときまして、最後に「一旦、国が危うくなったら」、その時は己を捨てろと言っています。この全文を見る限り、別に国家主義というほどのものではありません。教育基本法の言う「平和的な国家及び社会の形成者として」というのとほぼ同じと思います。しかし、教育勅語の「天皇を守る」ということにひっかかる人がいると思いますが、戦前は天皇を統治者として日本を運営していたので、最終的に国家とは天皇を指しています。「天皇」を「技術」に置き換えると2004年版になるのです。

戦後の民主教育は「教育は国家の為ではなく、個人のために行わなければならない」「個人の集合体が国家であって、国家が先に来るのではない」ということを是としてきました。しかしそれは再び、崩れつつあります。近代日本が経験してきた多くの悲惨な出来事は、日本が世界に誇るべき道徳や武士道を捨てて、ひたすら拝金主義、効率主義に陥って来たこと、生活の基本の哲学や規範が失われてきたことがあります。戦前、それが悪用されたとしても、悪用はあくまでも悪用であって、そのものが間違っていたということではありません。

わたし達はもう一度、教育勅語を読み、理解し、何を間違って破滅的な戦争に行ってしまったのか、そしてわたし達は今、どこに行こうとしているのかを、他人の言葉ではなく、自分の頭で考えることが必要だと思います。

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